東京山中会の設立

◎開宴

定刻になり田中庶務課長の開会宣言で会は始まり、佐々木取締役の経過報告と同窓会の名称と発起人・役員の紹介があり全員承認。次いで岸会長の挨拶がなされました。岸会長は「私共同じ山口中学校という学舎(まなびや)で学んだ者同志が一堂にあい集まったことは誠に喜ばしいことであります。」というような趣旨の挨拶をされましたが参加者一同は安保事件以来久しぶりに岸元総理の元気な顔を見て安心したようでした。

私自身岸さんが商工次官の職を辞されて満州に赴任される途中に山口中学校に来られ講演をされた際は国民服を着ておられ、顔の長い方との思い出があり「今の山中生は弛んでいる。」と強く叱責されじろりと生徒一同を睨まれたので怖い方との記憶が未だにありましたが、流石に弁舌は爽やかで頭の切れる方で頼もしい先輩であるとの感を深くしました。

最後に中安副会長が挨拶をされました。中安副会長はー通りの挨拶後、急に話題を変えられて「岸君は悪い奴で… 」とその昔の山中時代の期末試験の勉強の思い出を語られました。それは、岸さんは山中時代に中間や期末の試験の発表があると必ず親しい友人を誘っては遊びに出る。こちらはあの頭の良い岸君が試験前に遊ぶんだから俺達もといい気になって岸君について遊ぶ。そして試験が終わってみると結果は何時も岸君の成績が一番でお供した連中は出来が悪い。よくよく調べたてみたら、岸君は授業中に殆ど授業の内容を理解していたので試験勉強なんかはしなくてもよかったんだー。」こういう話しでしたが、そのユーモア溢れる話し方には全員の大笑いを引き起こし雰囲気を一層柔らかくしたしまた。岸さんも苦笑をしておられましたが、パーティの気分はぐぅーんと盛り上がりました。

そして、乾杯の音頭がありパーティが始まりました。出席者の最年長は15期の徳田伊之介さんで、私は52回で蓬か彼方の一番の末席でしたが、今までの名簿作成の際あちこちと田中課長の指示で動いていたので顔見知りとなった発起人や幹事や先輩の方が多く、この先輩の席を尋ねてはお礼の挨拶をしました。しかし、逆に先輩より「よくやってくれた。」とか「今後とも宜しく頼む。」とか色々感謝の言葉を戴き感激し、これで長い間の苦労が吹っ飛びましたが、これも名簿整理などをコツコツとしてくれた皆さんの助力があったからです。

卒業後始めて会った方や実家の近所の方や、また遠縁の方もおられました。つくづく思ったことは、期によって随分と纏まりが違う。福島さん(福島孝一氏 37期)のクラスは随分とよく纏まり参加者も多い。また安倍さんのクラス(安倍晋太郎氏 48期)もそうでありました。

52期は不幸な戦争のためー番在京者が少ないのですが、それでも10名近くは参加してくれました。卒業後始めての方もいたし、下級生の方の中には私を覚えていた者が多くいました。


昭和40年代の同窓会の様子(5)
総会は燃えに燃え、話しは尽きず、大勢の会話で話が聞こえない。時刻は予定の午後8時を少し過ぎいましたが来賓の方々のお帰りの気配はありません。ぼつぼつお開きの時間となり、偉い方々にお引き取りをお願いしなくてはならず、そこで閉会を宣告し最後は代表の「山口中学校万歳」の三唱でまた来年の再会を約して散会しました。

大勢の方が一度に帰られるので受付は大変であったが幸いにも荷物の間違いはなく、忘れ物もなく無事終わりました。春以来の大仕事がようやく無事に終了したのです。どっと疲れが一度に出てきました。しかし何とかやれたのだー。あとは事務局やお手伝い戴いた社員や協力戴いた女子社員の方を交えて打ち上げを行いました。私は酒をついで回った。田中課長のお礼の挨拶の後、一時間程度飲みながら喋って来年もということでお開きとなり散会した。

終わり