繋がるということ 「東京山中・山高同窓会」に際して
私達誰もが忘れられない、忘れてはいけない、あの心痛む東日本大震災から四か月後の一昨年の七月、山口銀行東京支店長という命を受け、大学時代以来の、久しぶりの東京暮らしとなった。距離的にも復旧復興の進まぬ被災地を身近に感じながらも、支店長という重責を担うため、ひたすら懸命に走り続けていく日々だった。
赴任から半年が過ぎたある金曜日の午後、一学年上の先輩から、三日後の月曜日までに、私達87期に同窓会案内をだすようにご指示を賜った。焦った。山口県に本社を置く企業としての責任であり義務に感じた。転勤で上京したての私は、仕事上で再会したての唯一、連絡先の分かる同級生に慌てて相談し、そこで責任は果たせたと思った。ところが、先輩から今年五月開催の東京山中・山校同窓会の代表幹事をやるようにと電話があり、私は、何故か即決で引き受けてしまった。久しぶりに再会した長く東京で過ごしている同級生は、仲良く団結しているように見えた。一人孤独に思えるのに、何故、代表なのだろう?まとめられるのか?分刻みの多忙な仕事、土日もままならない日々、とりあえず、宇部興産での幹事会に出席させて頂いた。
先輩方の貴重なご意見、ご要望を最優先に叶えたい、同級生に伝えることができるだろうか、分かってくれるだろうか?自問自答し続けた。幸い、私達には、毎回集まることのできる同級生のお店があり、そこで書類に纏めたご意見を話してみた。地に水が吸い込んでいくように、みんなは分かってくれた。テーマ「五感で思慕する我らがふるさと「山口」」を決め、今までにないほどの立派な同窓会を開こうと、みんなは一つになった。久しぶりに会った同級生ではない、文化祭や体育祭の為に汗を流したまさにあの日々に戻った。そして、同級生は、三十年の時を経て、それぞれに恐るべき勢いで成長を遂げているのに気づき、尊敬し、また、山口高校の偉大さを再認識した。撮影隊は、休日返上、徹夜で一年前に伺った先輩方のご意見を叶うべきDVDを作り上げ、テーマに沿う食事、印刷、パッケージング、音楽、司会進行、受付、それぞれが得意な分野を最大の力で担うべき動いた。
同窓会当日の上映では、流れる山口の風景、ナレーション、懐かしい校歌、書き下ろしのエッセイ、応援歌にお集まりの皆様が引き込まれていく姿に、私は、みんなと真に繋がっている、そんな思いで目頭が熱くなった。また、DVDの売り上げを東日本大震災に寄付することに決まったが、二年前の震災以来、何かできないか、するべきでないかと思いつつ、忙しさで日々が過ぎていくと私にとって、社会人として人間として、行動できたことに同級生に心より感謝の念を伝えたい。山口が私達にとって、大事な「ふるさと」であるように、東京も私にとって大事な「ふるさと」になり、同級生は、大事な一生の友となった。
ありがとう、みんな。
(当番期87期代表幹事 矢儀 一仁)